「主体と客体の非二元性」がなぜ不安と恐怖心を打ち消すか

「主体と客体の非二元性」によって人間同士が同じ気持ちになったとき、分離が消え、一体感が生まれ、喜びや感動が生まれるが、なぜそのとき不安や恐怖心が消えるのだろうか。
それは孤独感がなくなるからだと一般には思われているだろう。しかし、その孤独感すら「私は孤独だと認識している私」の仕業であり、実は自分が作り出した幻なのである。だからこそ、一時的な一体感で簡単に孤独感が消えてしまう。

「私が認識している私」は、私が本体なのだから、本来、私を「こんな私」と認識することはできない。無我夢中になっているとき、人は本体の私そのものになる。そのときには「作られた私」は存在しない。そのとき、同じ無我夢中になっている人と接すると一体感がそこに現れる。
「こんな私」と認識しているとき、その「こんな私」は脳内で作り上げた「架空の私」である。実際に人からどう見られているか、誰も知る方法はない。勝手に「人からこう見られている私」と空想しているだけである。その繰り返される空想がいつも同じために、その空想に現実味が感じられ、本来「架空の私」であるはずなのに、「いつもこんな私」と本気で思い込んでしまう。

すると不思議な現象が起こる。「また失敗した! 私はなんでこんなことができないんだろう!」と自分で自分を罵る。そのとき、罵っている「私」は誰なのか。あなたが作り上げた「架空の私」ではないか。その「架空の私」は空想で「自分は人から失敗が多い人間だと思われている」と繰り返し思うことで生まれたものである。あなた自身はいつものことだから当然のことのように思うだろうが、実際に周りの人がそう思っているか、あなたはひとりで知る方法がない。
たとえ何度も叱られていたとしても、それは見込みがあるから叱られているのかもしれない。または、理解力があると評価されていて、些細な失敗は絶対にしないように心配されているのかもしれない。場合によっては、新人にしては失敗が少なく、先輩が自分より有能な後輩に嫉妬して過剰に攻撃しているのかもしれない。

結局のところ、実際にどれであっても、あなたがするべきことは「失敗しないように集中する」ことしかない。その集中のために、周囲の人間の気持ちがどれだけ関係があるというのか。さらにいえば、あなたが作り上げた「架空の私」が自分で自分を攻撃している。それになんの意味があるのか。ただ集中力をかき乱すマイナスな感情しか生んでいないではないか。
あなたを叱咤激励する「幻の私」は、不安や恐怖心から生まれた「架空の私」である。実はあなたを不安にすることしか言わない。もし、前向きになるようなひらめきがあったとする。それはその「架空の私」が言ったものではなく、あなたの中にある本当の私のささやきである。

あなた自身を攻撃する「架空の私」を幻だと理解し、あなたの集中力をかき乱すことしかできないと受け入れ、もうその「架空の私」に惑わされないと誓えば、あなたの集中力が増し、それまで周囲の人間がどう思っていたとしても、あなたの変貌によって、周囲の人間からの評価が上がれば、あなたの不安や恐怖心が消えるのである。
あなたが作り上げた「自己像を監督する私」は、あなたの敵でしかないのだ。

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  1. 2017-4-30

    気を使うこと、気を使わされること、気を使ってくれること。

    気を使うことは愛だと思われている。 だから、恋人同士や家族間では、気を使ってあげないといけない…

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