「主体と客体の非二元性」とアイデンティティ

「見ている私」と「見られている対象(物や人)」を分離している人は、「私が認識している私」が存在していると思っている。「こんな私」と思い込んでいる自己像をもつ人ほど、ナルシストや悲劇のヒロイン、ストーカー、被害妄想に取りつかれている人などのようなトラブルメーカーが多い。

しかし、「私が私を認識していること」は一般的に悪いことだとは思われていない。むしろ、社会生活を営む上で「大人として見られる自分」「常識人として見られる自分」のように意識することで、自分の態度や行動、言動を意識し、よい社会人になれるものだと認識されている風潮がある。
そのほか、「スポーツや芸術などの夢に向かって努力している自分」や「社会貢献している自分」などといった、遣り甲斐や生き甲斐につながるものだと前向きに考えられている。

このような「自分はこんな自分だ」と肯定的に認識できる自己像を「アイデンティティ」という。アイデンティティはわかりにくい概念で、意外に理解していない人が多い。高学歴や大企業の正社員、企業の役職、職業、またはその妻など、自分が誇りに思っていることや「これが私だ」といえるものがアイデンティティということだ。
悲劇のヒロインや被害妄想に取りつかれている人などはアイデンティティとはいわない。しかし、「救われるべきかわいそうな自分」という自己像はもっており、そう知ってもらうことで何かメリットがあるという意味では、本人にとって無意識だとしても肯定的な自己像といえるかもしれない。

私は数年前、日本仏教の僧侶に「生まれ変わりは存在しない」と教えたことがある。厳密にいえば「私が認識している私が存在する人に生まれ変わりがあり、私が認識している私が存在していない人には生まれ変わりは存在しない」ということだ。その僧侶は混乱した。アイデンティティがどうなるかと何度も聞いてきた。私は「アイデンティティは存在しない」と答えたが、ますます混乱し、受け入れずに私の元から離れていった。
私はわかっていた。「私が認識している私」は、私が作り上げた「私」であって、本当は私自身ではないのだが、その「私」の存続が危ぶまれると恐怖心が湧き起こる。その「私」にとって「否定」=「死」を意味するからだ。実際には作られた「私」が使われなくなるだけで消え、本当の私は残るので死ぬことはない。

このようなことはすべてのアイデンティティのケースで当てはまる。
高学歴や大企業の正社員、企業の役職、職業、またはその妻など、自分が誇りに思っていることや「これが私だ」といえるアイデンティティが維持できない事態になると、人は恐怖心が湧き起こり、保身のため攻撃や隠滅、逃亡、現実逃避などの衝動が生まれる。

ナルシストや悲劇のヒロイン、ストーカー、被害妄想に取りつかれている人などがトラブルを起こすときも同じ仕組みで恐怖心が起こり、保身のために攻撃や逃亡、現実逃避が繰り返される。
そして驚くべきことに、その「私が認識している私」がいなくなったほうが、不安や恐怖心から解放され、自然に前向きになり、よい大人、常識的な社会人、自分を生かす人生が実現される。これを発見したのがシッダールタであり、それを引き継ぐ非二元なのである。

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