「相手の立場に立って考える」とは

「相手の立場に立って考えてみよう」とよくいわれる。
しかし、ほとんどの人ができていないし、人の気持ちはわからないものだとさえ思われている。

「相手の立場に立って考える」ことを、日本語では思い遣りという。

ある人は言う。「教えてあげなよ」と。
ある人は言う。「共感してあげなよ」と。
ある人は言う。「同情してあげなよ」と。
ある人は言う。「協力してあげなよ」と。

何をするにしても、相手の立場に立って考えないと、教えることも、共感してあげることも、同情してあげることも、協力してあげることも、相手にとって望んでいないことかもしれない。

だから、相手の立場に立って考えることは、教えることでも、共感してあげることでも、同情してあげることでも、協力してあげることでもない。
これを誰も考えていない。

相手の立場に立って、相手の気持ちを考えて、初めて相手がどうされたいのかがわかるのだ。
それなのに、ほとんどの人が、一辺倒の気配りで、相手の立場に立ったつもりでいる。
ひどい人になると、「気を使ってやったのに、なんだ? あの態度は」と怒る。

その意味で、このテレビ広告は具体的でわかりやすい映像だろう。

これはいじめられたときや、ひとりぼっちになったときの気持ちを想像させているが、具体的に想像すれば誰でも相手の気持ちがわかるようになる。

兄弟姉妹の気持ち、親の気持ち、友だちの気持ち、交際相手の気持ち、先輩の気持ち、後輩の気持ち、上司の気持ち、部下の気持ち……、すべて具体的に想像してみればわかることである。

それは慣れないとむずかしい。慣れなくても簡単にできる人はいるが、それは人類の4分の1以下だ。
慣れるまで繰り返し取り組まないと、いつまでも人の気持ちをわかる日は来ない。わかっているつもりのまま生き、人間関係でこじらせ、なぜこじれたのかを知らないまま、多くの人が寿命を迎える。

そもそも、親が子の気持ちがわからなければ、その親は人の気持ちを理解する能力を鍛えていないのだから、その子も人の気持ちを理解する能力を鍛える体験をしていない。
それが普通の家庭であり、珍しくないからこそ、世の中は人間関係で多くの問題が起きている。

人類の4分の1は先天的に人の気持ちはわかるが、本人が当たり前に人の気持ちを想像できるために、誰でも人の気持ちをわかっていると思っている。そのため、人の気持ちがわからない人から無神経なことを言われると傷つく。
多くの人が人の気持ちを想像できないことを知っていればそのようなことにはならない。

「相手の立場に立って考える」とは、共感でも同情でもないなんて聞いただけで驚いた人は多いだろう。
常に相手の立場に立って、相手の気持ちを考え、何を求めているかを考えて初めて思い遣りとなる。
共感されたい人ほど人をいじめる。同情されたい人ほど人に干渉する。

あなたの気持ちとは無関係に、相手の立場に立って考えることが、思い遣りなのである。

さとり・非二元でいえば、助けを必要としている人に手を差し伸べるが、わからせようとはしないことだ。あなたのやさしさ、親切、気配りを相手にわかってもらおうとしないこと。あなたの怒り、恨み、不快感をわかってもらおうとしないこと。すべて、あなたの自我が消えれば済むことだ。

自我がなくなれば、お節介も攻撃もなくなる。相手の感情はあなたと連動していることを忘れてはならない。

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