さとったあとにある不安

昨日は覚醒前と覚醒後にある一時的な不安と怒りについて書いたが、それは「さとり・非二元に対する不安と怒り」として起きるものを解説した。

今日はさとったあとに感じられる不安について解説する。
さとりとは、覚醒が継続的である程度、定着した状態だ。

覚醒前と覚醒後は、まださとりや非二元をより理解しよう、覚醒の中から自分を追い出そうという方向性がある。「覚醒前、覚醒後にある不安と怒り」がまだあるが、まだ取り組めることがあるから、つらくても、確かなものと思えなくても、覚醒状態を体験するまで、あるいは体験を継続できるように集中することができる。

しかし、さとったあとは、いわゆる覚醒が続いている状態であるのに、まるで優勝してしまった選手が目標を失ったように、これから進む方向を見失ってしまう。

「覚醒前、覚醒後にある不安と怒り」から解放されたのにである。

自我がないために、享楽的な欲望がない。欲望がないために、今なにかしたいという欲望もない。娯楽にも興味がなくなるし、美味しいものを食べたいとか、いい音楽を聴きたいという欲望もない。

だからといって、食べることがつまらないということはない。常に「今」「ここ」なので、むしろ以前より美味しいし、偶然にもとびきり美味しい料理にありつける。

「あの人は今、どうしてるかな」と思えば、その人から連絡がくる。

もっと刺激的な本はないかなと思えば、見つかる。

なんでも順調であるし、望んだとおりになる。

しかし、望まなければなにも起きない。
すると、なにを望めばいいのか、どの方向に進めばいいのか、見当がつかない気分になる。
そして、不安な感情が湧く。

これは「正しい方向」「よい方向」「適した方向」があると思っている自我である。

ただ単に今、取り組んでいること、行動していることに集中すればいい。
すべてがうまくいくだろう。

非二元として中道を発見した仏陀は、慈悲の瞑想を勧めたといわれている。
当時のインドは、苦行者に供養(托鉢などで食物を与えること)をすれば、ご利益があると考えられていた。
この慈悲の瞑想こそ、現代の非二元と仏陀の教えとしての根本仏教とのちがいといえる。

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