さとると、何に感動するかが変わる

さとって、自分の自我がすっかりなくなると、自我で憧れていたり、ときめいたりしたものに、何も感じなくなる。

これを一般の人にもわかりやすい話に例えるなら、幼児の頃、あれほど大好きだったおもちゃのことが、大人になってからそのおもちゃを見ても、なんとも思わないものだ。もし感じるとしても懐かしいとか、好きだったなとか、そのくらいだろう。積み木や音が鳴るおもちゃで、成人してからも夢中になって遊ぶことはない。

自我が夢中になるものもまったく同じだ。
小学時代に好きだった異性のタイプは、中学時代になって変わり、高校時代になって変わり、大学時代になって変わるものだ。社会人になって実際に結婚する相手のタイプは全然ちがうものであることは珍しくない。

心理学的には、実らない願望をもち続けて我慢していると、自我が強まり、同じ願望を強めながらもち続けるという事態になる。
子どもの頃に買えなかったおもちゃを大人になってコレクションしている人や、結婚して子どもがいるのに青春や恋愛に憧れて不倫をする人、事業に失敗しているのにあきらめきれずさまざまな事業に手を出す人などである。

これらのような強化された自我のほか、褒められたい、愛されたい、目立ちたい、尊敬されたい、信頼されたいといった、根本的な自我も、さとると消えてしまう。
すると、マニアックな願望はもちろんのこと、一般的によいこととされている夢を追いかけることや、家庭の幸せ、仕事の成功なども、憧れをもたなくなり、情熱がなくなってしまう。

それでは、人生の楽しみはなくなってしまうのだろうか。

そのようなことはない。

むしろ、洗練された喜び、愛、感動がある。

実際、さとった人間も感動するものがある。
それは、ソチ五輪で涙する浅田真央の姿や、2013年世界フィギュアスケート選手権で涙した羽生結弦が翌年のソチ五輪ショートプログラムで世界最高得点を出したときのガッツポーズなどである。
自我の感動とのちがいは、「全身全霊の姿」であることである。
その姿は、涙していても、ガッツポーズしていても、そこには恩寵、愛、感動がある。

そのほか、失敗を乗り越えて成功した経営者の姿にも感動する。

自我の喜びや憧れには共感しないが、全身全霊の喜びや悲しみには感動するのだ。
その証拠に、その感動話には多くの奇跡が起きている。

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  1. 2017-5-13

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