覚醒前、覚醒後にある不安と怒り

人は覚醒前、あるいは、覚醒後の数日、数週間、数ヶ月など、人によって異なるが、一時的に自分自身の方向性を見失って、継続的な不安、さとりや非二元に対する怒りをもつ。

この不安や怒りは一時的なものであり、私がかかわっている人々全員がこの状態を必ず体験している。

有名なノンデュアリティの覚者じゅんころさんが受けていたストレスは、不特定多数の「継続的不安や怒りをもつ人々」が彼女のところにその不安と怒りをぶつけたことが原因だと思われる。(もちろん例外の攻撃もあったことだろうが)それによってじゅんころさんはブログを廃止した。

この「継続的な不安や怒りをもつ人々」は、決して攻撃が目的ではない。苦しみから解放されるといわれるさとりや非二元を理解しようと取り組み、一部とはいえ真実を知ってしまった彼らは、まだかかえている自我によって、苦しみが緩むどころか、ますます苦痛にさいなまれる。

この現象はさとり、非二元に限ったものではない。
同じく心の問題に取り組む心理療法では、患者は治療者に攻撃的になるものとされ、いかに信頼関係を築くかが要とされている。

一見、おかしな現象である。
苦しみを取り除いてもらいたいはずの患者が、なぜ治療者を攻撃するのだろうか。

その理由は、一般に理想と欲望の葛藤が原因だと解釈されている。
仕事を例に挙げるなら、「心身のストレスがたまって仕事を休みたい」という欲望と、「引き受けてしまった仕事をしなければならない」という理想が衝突し、葛藤を生む。

これを読んでいるあなたも、葛藤が誰にもあることくらい当然に普通のことと思われていることだろう。
その普通の葛藤が、会社の倒産や不景気などによる収入の激減のほか、事故や病気、持ち家を手放すことになるなどの財産の損失、怪我や病気などによる苦痛、家庭や仕事などでの人間関係のトラブルなどの極限状態に陥ることによって、心身症を発症するほど、自分自身をがんじがらめにしているものである。

決して、収入の激減、財産の損失、身体の苦痛、人間関係のトラブルが原因で、心身症になるのではない。心の中の欲望と理想の葛藤が大きいか、小さいかによって、その差が出るものなのである。
それほど重大な葛藤が、心理療法で解決されることによって、心身症が改善されるのだ。

ではなぜ、その葛藤を理由に患者は治療者を攻撃するのか。
そもそも葛藤が生まれる原因は、親や社会、体験などから大切と思われた理想と、実際の自分の欲望の食い違いがあるからだ。
本人は理想の自分でありたい。しかし、それができない自分もいる。どうにかして、できない自分をできる自分にしたい。理想の自分こそ、その理想をもち得る自分こそ、本当の自分と思いたいのである。

しかし、葛藤を解決するためには、いき過ぎた理想、極端な理想をまず手放すことが必要なのである。
先ほどの例の「休みなく働いているのに、仕事を引き受けたので休めない」という葛藤では、「引き受けたので、しなければならない」という理想を手放させ、「引き受けたが、もう一度先方に相談する」という選択肢も、まったく問題がないことを気づかせるだけでよい。

ところが、理想の自分こそ自分と思いたい当人は、「休まず仕事を引き受けてこそ自分」あるいは「休まず仕事を引き受けないと、今まで自分が耐えてきたことが無駄になる」といった強迫観念があり、断固拒絶するといった感情が湧き起こる。
このとき、患者は治療者に向かって、「それはできない」というだけならまだしも、「仕事に熱中している自分が好きだ」「私はまだがんばれる」として事実に反したことを並べ、ついには「仕事ができない人間と同じだとは思われたくない」「私を無能な人間にしたいのか」「仕事とはそういうものではないだろう! 先生にはわからないのだ!」といった支離滅裂な攻撃にまで発展しやすい。

これとまったく同じことがさとり、非二元でも起きる。
さとり、非二元では真実を語るが、その真実はまさに葛藤を解消する力があり、本人が抱えて生きてきた理想を打ち消すほか、本人が知りたくない自分自身の欲望までもあぶりだしてしまう。それはまさに「理想の自分(自己像)の崩壊」である。

覚醒前、覚醒後の時点では、実際にはまだ自己像の崩壊に至らず、自己像を保ったままであり、崩壊の危機にさらされている状態である。
この自己像を保ったまま、さとりや非二元を理解したいと彼らは挑戦してくるのだが、さとり、非二元ではその自己像を幻だとして切り捨ててしまう。

こうして、彼らは「理想の自分(自己像)」を守るために、あるいは存続を実現するために、さとり、非二元のスピーカー、ティーチャー、覚者に対し、あれこれと質問を繰り返す。ときには不安や怒りを伴って、支離滅裂な質問、結果的に攻撃でしかない質問になってしまうのである。

「理想の自分(自己像)」を守りたければ、さとり、非二元から離れればいい。一部真実を知ってしまった人間は、本来、真実を知っているために、心穏やかではいられないようである。そこで、「理想の自分(自己像)」を存続したまま、さとり、非二元を理解しようと試みる。

それは無理な話なのだ。

「理想の自分(自己像)」を失っても、理想をもたなくても、あなたは何も失わないし、あなたはあなたであり続けるのだ。
「理想の自分(自己像)」は幻だと受け入れることが、さとりなのだ。

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