釈迦がさとりを語り始める

釈迦はインドボダイジュの下で、ひとり静かにさとったといわれます。

お経にはさまざまな脚色があるなかで、釈迦自身が語った可能性が高い部分のみご紹介します。

修行僧らよ。わたくしがさとりを開くよりも前に、まださとりを開いていないでボーディサッタ(仏となるべき人)であったとき、心に念じてこのように思った。「じつにこの世間は艱難に陥っている。生まれ、老い、衰え、歿し、再生する。しかしこの苦しみからの出離を知らない。老死からの出離をも知らない。じつに何時になったらこの苦しみからの出離、老死からの出離を明らかに知り得るであろうか。」
そこでわたくしはこのように思った。――「なにがあるがゆえに老死があり、なにに縁って老死があるのであろうか?」と。そのときわたくしには正しい注意と知慧とから現観(さとり)がおこった、――「生があるがゆえに老死がある。生に縁って老死がある」と。
そのときわたくしはこう思った、――「なにがあるがゆえに出生があり、生存、執著、妄執、感受作用、対象との接触、六つの感受機能、名称と形態、識別作用、生活作用があり、なにに縁って生活作用があるのであろうか?」と。そのときわたくしには正しい注意と知慧とから現観がおこった、――「無明があるがゆえに生活作用があり、無明によって生活作用がある」と。
このように無明に縁って生活作用があり、生活作用に縁って識別作用がある。……このすべての苦しみのわだかまりの生起するわけはこのようである。
「これが生起である。これが生起である」と、いまだかつて聞かれたことのない法に関して、わたくしに眼が生じ、智が生じ、知慧が生じ、明知が生じ、光りが生じた。
修行僧らよ。そのときわたくしはこう思った。――「なにがないがゆえに老死がなく、なにの止滅から老死の止滅がおこるのか?」と。そのときわたくしには正しい注意と知慧とから現観がおこった、――「出生がないゆえに老死がなく、出生の止滅から老死の止滅がおこる」と。
そのときわたくしはこう思った、――「なにがないがゆえに出生がなく、生存、執著、妄執、感受作用、対象との接触、六つの感受機能、名称と形態、識別作用、生活作用がなく、なにの止滅から生活作用の止滅がおこるのか?」と。そのときわたくしには正しい注意と知慧とから現観がおこった、――「無明がないときに生活作用がなく、無明の止滅から生活作用の止滅がおこる」と。
このように無明の止滅から生活作用の止滅がおこり、生活作用の止滅から識別作用の止滅がおこる。……このすべての苦しみのわだかまりの止滅するわけはこのようである。
「これが止滅である。これが止滅である」と、いまだかつて聞かれたことのない法に関して、わたくしに眼が生じ、智が生じ、知慧が生じ、明知が生じ、光りが生じた。

(サンユッタ・ニカーヤ)

意味がわかりませんね。少しわかりやすく説明してみますね。

釈迦の言葉はたいへん誤解されています。「なぜ死で苦しむのか」という問いに「生きているからだ」と答えているために、「仕方ない」とか「考えても無駄だ」とか「考えるから苦しむのだ」といった意味だと思われてしまっているのです。

釈迦の言葉の本来の意味は「生きたいと思うから死にたくない」ということ。「死で苦しむのは生きてるからじゃん」といったような言葉の綾ではなくて、「生きたい。生きたい」と執着するとき、「ただ生きたいと言うのではなくて、あなたにとって生きるとはどういうものですか」と言っているのですね。人間は不思議なもので、やりたいことをやって生き抜くと、死が怖くなくなるものです。「ああ、満足だ。ああ、楽しかった。もういつ死んでもいいや」となります。それとは反対に、やり残したことがあると、まだ死にたくないものなんです。「ちょっと待って、もう終わり? そんなのやだよ」となります。

釈迦はさらに一歩進みます。「これが苦しみの原因なのか。では、なにをやり抜けば、もう生きなくても十分満足となるのか」と。ここからが釈迦の真骨頂。「知らないから、人が楽しそうに見える。知らないから、人が自分より幸せそうに見える。知らないから、自分がやりたくなる。「知らない」=「無明」が原因で、やりたいことがいっぱいできる。知ってしまえば、それほど楽しいものでもないよ」と言うんです。

実際、そうですよね。「あの人が大好き。あの人しか愛せない」と言っていた人がいざその人と結婚してみると、「あんな人だとは思わなかった」「愛が冷めた」と言い出したりします。その人のことを知らないから恋をし、結婚とは何かが知らないから憧れるんですね。体験してみたい、味わってみたいもそうです。知らないからわくわくするのです。わくわくするから、憧れるんですね。知ればなんのことはない。「なるほど! こういう感じか」と感動したあと、もっといいものを探そうと、探し続けて、もっともっとと憧れ探しをする人や、「なんだ、こんなもんか」と幻滅して、どんどん人生に冷めていく人もいます。初めから知っていれば、キリがない憧れ探しで「まだ死にたくない」という思いにはなりませんし、がっかりすることもありません。釈迦は「初めから知る方法」をさとったと言っているのですね。

修行僧らよ。かくしてわたくしはみずから生ずるたちのものでありながら、生ずることがらのうちに患いを見て、不生なる無上の安穏・安らぎ(ニルヴァーナ)を求めて、不生なる無上の安穏・安らぎを得た。みずから、老いたるもの・病むもの・死ぬもの・憂うるもの・汚れたものであるのに、老いるもの・病むもの・死ぬもの・憂うるもの・汚れたもののうちに患いのあることを知って、不老・不病・不死・不憂・不汚なる無上の安穏・安らぎを求めて、不老・不病・不死・不憂・不汚なる無上の安穏・安らぎを得た。そうしてわれに知と見とが生じた、――「わが解脱は不動である。これは最後の生存である。もはや再び生存することはない」と。

(マッジマ・ニカーヤ)

その「初めから知る方法」で、何も悩まなくなり、思い煩うことがなくなったと言っています。

文章が長くなったので、「初めから知る方法」は次回、書きます。

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