釈迦のさとり「初めから知る方法」

お経は実は詩ですので、韻を踏んでいる関係で、同じ言葉が何度も繰り返しになり、とても読みにくいですね。サンスクリット語ですと美しい響きらしいです。名翻訳家クマーラジーヴァ(中国語名 鳩摩羅什)は、お経をサンスクリット語から中国語に翻訳するとき、美しい韻が伝わらず悔やんでいたそうです。レディー・ガガでたとえますと、「Born This Way」の歌を日本語で歌うと、ガガを知らない人にガガのカッコよさが伝わらないようなものなのでしょうね。

それでは本題の「初めから知る方法」です。

サーヴァッティーにて。
修行僧らよ。わたくしがさとりを開くよりも以前に、まださとりを開いていないで、ボーディサッタ(仏となるべき人)であったときにこのように思った、――「眼の耽溺とはなにであるか? 患いはなにであるか? 出離はなにであるか? 耳の耽溺とはなにであるか? 患いはなにであるか? 出離はなにであるか? 鼻の耽溺とはなにであるか? 患いはなにであるか? 出離はなにであるか? 舌の耽溺とはなにであるか? 患いはなにであるか? 出離はなにであるか? 身の耽溺とはなにであるか? 患いはなにであるか? 出離はなにであるか? 意の耽溺とはなにであるか? 患いはなにであるか? 出離はなにであるか?」と。
そのときわたくしはこのように思った、――「眼を縁として快楽と喜悦とが起こること、――これが眼の耽溺である。眼が無常であり、苦しみであり、変滅する本性をもっていること、――これが眼の患いである。眼に対する欲望と貪著とを制すること、欲望と貪著とを断ずること、――これが眼の出離である。耳を縁として快楽と喜悦とが起こること、――これが耳の耽溺である。耳が無常であり、苦しみであり、変滅する本性をもっていること、――これが耳の患いである。耳に対する欲望と貪著とを制すること、欲望と貪著とを断ずること、――これが耳の出離である。鼻を縁として快楽と喜悦とが起こること、――これが鼻の耽溺である。鼻が無常であり、苦しみであり、変滅する本性をもっていること、――これが鼻の患いである。鼻に対する欲望と貪著とを制すること、欲望と貪著とを断ずること、――これが鼻の出離である。舌を縁として快楽と喜悦とが起こること、――これが舌の耽溺である。舌が無常であり、苦しみであり、変滅する本性をもっていること、――これが舌の患いである。舌に対する欲望と貪著とを制すること、欲望と貪著とを断ずること、――これが舌の出離である。身を縁として快楽と喜悦とが起こること、――これが身の耽溺である。身が無常であり、苦しみであり、変滅する本性をもっていること、――これが身の患いである。身に対する欲望と貪著とを制すること、欲望と貪著とを断ずること、――これが身の出離である。意を縁として快楽と喜悦とが起こること、――これが意の耽溺である。意が無常であり、苦しみであり、変滅する本性をもっていること、――これが意の患いである。意に対する欲望と貪著とを制すること、欲望と貪著とを断ずること、――これが意の出離である。」
わたくしがこのようにこれらの内的な六つの領域(六処)の耽溺を耽溺として、患いを患いとして、出離を出離として如実に知らなかったあいだは、神々・悪魔・梵天とともなる世界において、神々や人間・梵天・修行者・バラモンを含む生類のうちにあって無上の正しいさとりをさとったと称することはなかった。ところがわたくしはこれらの内的な六つの領域の耽溺を耽溺として、患いを患いとして、出離を出離として如実に知ったから、神々・悪魔・梵天とともなる世界において、神々や人間・梵天・修行者・バラモンを含む生類のうちにあって無上の正しいさとりをさとったと称したのである。
そうしてわたくしに智と見とが生じた、「わが心の解脱は不動である。これは最後の生存である。もはや再生することはない」と。

(サンユッタ・ニカーヤ)

釈迦はとても具体的に説明しています。

あなたが見たもの、聞いたもの、嗅いだもの、味わったもの、感じたもの、想像したものが、あなたに「期待」や「不安」、「怒り」、「悲しみ」を作り出しているというんですね。

たとえば、「A子さんは、B子さんがイケメンとイチャイチャしながら歩いているところを見た」とします。A子さんは「B子さんが幸せそうだ」と想像してしまいます。うらやましいという気持ちから、ねたむかもしれませんし、裏切られたような気持になって腹を立てるかもしれません。

このとき、A子さんは「イケメンとつき合うと幸せだ」と思い込んでいます。そのほか「友情があれば、自分だけ幸せになるなんてしないはずだ」と思い込んでいる可能性もあります。

ではなぜ「イケメンとつき合うと幸せだ」と思っているのでしょうか。人によっては「他の女に取られる恐怖を考えると不安だ」として幸せそうに見えない人もいるでしょう。友情についても、「B子さんに彼氏ができて、私もうれしい」と素直に喜ぶ人もいるでしょう。「五感と心」が感じた人の温もりや思い出、信じている「大切なこと」が「期待」や「不安」、「怒り」、「悲しみ」などを作り出していると、釈迦は言っているのですね。「期待」「不安」「怒り」「悲しみ」すべてが「思い込み」で「幻」だと見抜いたわけです。

A子さんでたとえますと、「B子さんがうらやましい」も「B子さんがずるい」も、A子さんが「何をうらやましいと思っているか」「何をずるいと思っているか」が原因であって、B子さんは悪くないということなんですね。そもそも「B子さんとそのイケメンは恋愛関係とは限らず、兄弟やいとこ関係」かもしれませんし、「B子さんの彼氏がイケメンかどうか」すら、A子さんだけが思っていることかもしれません。

釈迦は「すべての苦しみが、五感と心が原因だ」と言い切ります。それはなんと「幸福も不幸も、五感と心が作り出したもので、すべて幻」だということなんですね。

とても理論的で、哲学的で、宗教性のかけらもないお話になってきました。仏教の開祖といわれる釈迦の発言とは思えないような内容です。本来、宗教とは「人間を超えた存在が、信仰する人間を監督し、褒美または罰を与える」というものです。

釈迦はその「人間を超えた存在」というものをあるともないとも言いませんでした。これを無記(または、捨置記)と弟子たちは呼びます。「人間を超えた存在」を信仰するかしないかは関係なく、褒美も罰も幻だと一刀両断したわけです。

あれれ? おかしなことになりますね。日本仏教では信仰心がとても重要だと考えられています。最大信者数の浄土系では阿弥陀如来を信仰して「南無阿弥陀仏」と唱えれば罰なく幸せになれると説かれていますし、新興宗教団体も含めれば実質最大信者数といわれる日蓮系でも釈迦が永遠に存在する仏として信仰し「南無妙法蓮華経」と唱えれば罰なく幸せになれると説いています。「五感と心」の話は重要視されず、信仰の問題とされました。「A子さんは南無阿弥陀仏あるいは南無妙法蓮華経と唱えることで、B子さんのことは放っておいて、自分の幸せを阿弥陀如来または釈迦に任せなさい」ということになってしまいました。もはや釈迦が真剣に探した「苦しみの原因となくし方」は完全に無視されてしまいました。修行していない信者はともかく、出家した僧侶にその重要性が伝わっていないのです。

ちなみに、神社参拝や四国八十八箇所巡礼、登山などでいわれる「六根清浄」とは、この「五感と心」のことです。一見、釈迦の大切な思いが伝わっているかのようですが、釈迦は「五感と心」の清め方として修業方法も考案しています。「六根清浄」の言葉の意味「五感と心を清めてください」と繰り返し言えば修行したことになるなんてことはないんですね。ちゃんと釈迦は修行方法を弟子たちに伝えているのですから。もっとも弟子たちは出家した者たちであり、一般の信者には修行の義務がありませんでした。そのかわり、一般の信者には最低限守ってほしいことだけを定めた「戒」がありました。それも「殺さないでね」「盗まないでね」「道徳を守ってね」「嘘つかないでね」「酒飲まないでね」のたった5つだけでした。破っても罰すらありませんでした。一般信者には六根清浄の方法はなく、六根清浄するためには出家して、修行するしかないということですね。

さて、日本仏教で釈迦の本意が伝わっていない理由は、釈迦のさとりの説明をしてからお話するといたしまして、釈迦が重要視した「五感と心が苦しみの原因だと知ることで、なぜさとりとなるのか」を、次回さらに掘り下げましょう。

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